[大阪・西淀川]
田蓑神社(たみのじんじゃ)・住吉三神、神功皇后を祀る
田蓑神社(たみのじんじゃ)
TEL 06-6471-5416 〒555-0001 大阪府大阪市西淀川区西淀川区佃1丁目18-14
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
[ 田蓑神社(たみのじんじゃ) ]
ワンポイント☆彡
- ご神徳: 祓い・海上運輸安全・五穀豊穣・安産
- 大祭(夏祭): 7月31日・8月1日 ※「こどもふとん太鼓」の曳行、お神楽奉納、夜店。
- 社伝によれば、869年(貞観11年)に創建。社名は、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社とも)、1741年(寛保元年)に住吉神社と改名、明治元年(1868年)に田蓑神社となる。
- 大阪府下で最も古いといわれる狛犬(元禄15年正月17日)が本殿垣内にある。
- 田蓑神社前に「佃(つくだ)漁民ゆかりの地」の石碑がある。佃煮発祥の地として有名な東京の佃島。1630年(寛永7年) に西淀川の佃・大和田の漁民が江戸に移住して江戸佃島の起こりとなる。この地にある住吉神社(東京都中央区佃一丁目1-14)は、田蓑神社の御分神霊を奉戴した。詳細⇒クリック
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ワンポイント・年中行事など☆彡
- 歳旦祭: 1月 1日
- 節分祭: 2月3日(暦により4日の年もあり)厄除祈祷、豆まき、福もち・厄除酒授与、夜店。
- 初午祭: 2月初午
- 東照宮祭: 5月17日(週末に合わせて斎行)
- 大祭(夏祭): 7月31日・8月1日 ふとん太鼓曳行、お神楽奉納、夜店。
- 例祭(秋祭): 10月16日・17日 奉納子ども相撲大会、花展とお抹茶ご招待、夜店。
- 戦没者慰霊祭: 11月3日
- 神札頒布始祭: 12月第1日曜日
田蓑神社(たみのじんじゃ)の由緒って、貞観11年(869年)9月15日鎮座となっているんだね。
ご祭神は、「住吉の四神」がお祀りされている。
「住吉の四柱」は、 表筒之男命(うわづつのおのみこと)、中筒之男命(なかづつのおのみこと)、底筒之男命(そこづつのおのみこと)、そして神功皇后(じんぐうこうごう)なんだ。
と言われても、にわかには、すっと頭の中には入ってこないよ。それと、「住吉の四柱」、「住吉の三柱」と「住吉大神」で、さらにこんがらがっちゃうよ。
すこし整理してみましょう。
一般的に「住吉大神・明神」という呼び方は、住吉三柱(表筒之男命・中筒之男命・底筒之男命)に、神功皇后を加えた四柱を指します。
田蓑神社略由緒によると、
・神武皇后が、三韓征討の時に住吉三神を守り神としてお奉りした。
・そして三韓の王などが降伏して国の安定を築かれた。
・国にもどる途中に、この田蓑嶋に立ち寄られ、その時に海士(漁師)が白魚を献上、それよりその海士を奉ったのが興りとされています。
・その数百年後に、当地を開拓していたらその海士が出現して、
「神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよ」
と申されたので、貞観十一年(869年)に創建、住吉三神と神功皇后の「住吉四神」をお奉りしたとある。
鬼板は、現在も田蓑神社の神宝として奉られている。
この住吉三神と武皇后で、住吉四神なんだね。で、住吉大社と同じなんだ。
あと、住吉三神を、神武皇后が、三韓征討の時に守り神としたのはわかるけど、なんでなのかなぁ?
そもそも、住吉三神は、海の神、航海の神、和歌の神と知られていますが、そもそもをみてみると、イザナギノミコトが禊ぎ(みそぎ)をした時に生まれた祓いの神なんです。
禊ぎ(みそぎ)と祓いって?
禊ぎ(みそぎ)のお話しを整理しますね。
黄泉の国から返った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、黄泉の穢れ(けがれ)を除くために禊ぎをし、その時に住吉三神は生まれたとなるのですが、も少しこのお話しの順を追ってみてみましょう。
・黄泉の国から返った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、禊ぎ(みそぎ)をしなければならないと言って、
・九州の日向の橘の小門の阿波岐原(たちばなのおどのあはきはら)で禊ぎ(みそぎ)をした。
・その時に、身につけていたもの(杖・帯・袋・衣・褌・冠・左右の腕輪)を投げ捨てする時に十二柱の神々が出現。 [※めもめも(知っ得情報)参照]
・そして、「上流の方は水の流れが速く、下流はおそい」ので、海の真ん中で身体(からだ)を洗った時に、十柱の神々が生まれた。[※めもめも(知っ得情報)参照]
・最初の二柱の神:黄泉の国にいたときの穢れから生まれた神(禍の神)、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)で災厄を司る神とされている。
・次の二柱の神:黄泉の国で取り憑いた禍(わざわい)を直す(取り除く)ときに生まれた神で、神直毘神(かみなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)の二柱と伊豆能売(いずのめ)が生まれている。
・次の六柱の神:いずれも海の神で、海の底で身体を洗い清めた時に生まれた神です。[※めもめも(知っ得情報)参照]
・最後にうまれた三柱の神々は、
・左の目を洗い清めた時に出現した天照大御神(あまてらすおおみかみ)。
・右の目を洗い清めた時に出現した月読命(つくよみのみこと)。
・鼻を洗い清めた時に出現した須佐之男命(すさのおのみこと)です。
というお話しなんです。穢れ(けがれ)を祓う(はらう)、つまり穢れを祓う力を持った神の力のお話しのおおもとになるのです。
なんだか、聴けば聴くほどわからなくなっちゃいました。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、黄泉の穢れ(けがれ)を除くために九州の日向の橘の小戸で禊ぎをしたんだ。
身体を水で滌ぐと、ケガレが流れ出たんだね、それが八十枉津日神(やそまがつひのかみ)というケガレそのものの神なんだって、そしたら、そのケガレからのわざわいを直そうと神直日神、大直日神が現われたんだね。さらに川の流れの中で身体をを滌ぐと、ワタツミ三神と筒男三神(住吉三神)が現れて、無事にケガレを洗い清めることができたんだって。
その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つくよみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)が現れるんだって…。
ということで、穢れ(けがれ)を祓う(はらう)、つまり穢れを祓う力を持った神の力のお話しと言うことです。このお話しの中の祓い清めた最後に現れた筒男三神(住吉三神)が、祓い力を持った神として祀られていたので、神武皇后が三韓征討の時に守り神としたんだね。
わかったようでわからないけど、今以上に、日本の神話に興味がもりもり湧いてきました。
[田蓑神社(たみのじんじゃ)の由緒]
田蓑神社(たみのじんじゃ) 基本情報☆彡
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
名 称 | 田蓑神社(たみのじんじゃ) |
---|---|
別 称 | 田蓑嶋神社・田蓑嶋姫神社・住吉神社(住吉大神宮、住吉明神、住吉大明神) |
所在地 | 〒555-0001 大阪府大阪市西淀川区西淀川区佃1丁目18-14 |
主祭神 | 住吉四神(住吉の三柱・神功皇后) 住吉の三柱: ・表筒之男命(うわづつのおのみこと) ・中筒之男命(なかづつのおのみこと) ・底筒之男命(そこづつのおのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう) |
祭神 | - |
社格等 | - |
創建年 | 伝・869年(貞観11年) |
本殿の様式 | - |
境内社 | 東照宮(徳川家康公) 金毘羅宮(大物主大神) 稲生社(宇賀御魂神) 七重之社(天照皇大神・猿田彦神・事代主大神・大国主大神・応神天皇・少彦名明神・菅原道真公) |
札所等 | - |
文化財 | - |
参拝時間 | - |
休日 | - |
電話 | TEL:06-6471-5416 FAX:06-6471-5059 |
拝観料 | - |
駐車場 | 有り(無料) |
アクセス | 阪神電鉄本線「千船(ちぶね)」駅下車→徒歩約15分。 JR東西線「御幣島(みてじま)」駅下車→徒歩約20分。 |
その他 | - |
近くの宿泊施設
めもめも(知っ得情報)
- 神功皇后の別表記:
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、 『日本書紀』、和風諡号
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、『古事記』
大帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、『古事記』
大足姫命(おおたらしひめのみこと)、『続日本後紀』
大帯日姫命(おおたらしひめのみこと)、『日本三代実録』 - 住吉大神の別名:
三筒男神(さんつつおのかみ)
墨江三神・墨江三前大神(すみのえさんじん・すみのまえのおおかみ)
住吉三神・住吉明神(すみよしさんじん・すみよしみょうじん)
筒之男三神(つつのおさんじん) - 住吉大神のお出まし:
国生みの神、伊邪那岐命(いざななぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は、大八島を生む。
伊邪那美命が、火之迦具土神(ひのかぐつち)を生んだ時に大火傷を負い、黄泉国に旅立つ。
その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行う。この時、瀬の深いところで底筒之男神、瀬の流れの中間で中筒之男神、水表で上筒之男神がそれぞれ生まれ出たとされる。 - 田蓑神社のある所は、古くは田蓑島(嶋)と呼ばれていた。淀川や旧大和川の三角州には、いくつかの島々があり、この島々を難波八十島(やそしま)と呼んでいたそうです。田蓑島、比売(媛)島、御幣島(みてじま)、歌島、柴島(くにしま)などがあり、今も地名にあります。
-
黄泉の国から返った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)禊ぎ(みそぎ)によって生まれた神々
- 身につけていたもの(杖・帯・袋・衣・褌・冠・左右の腕輪)から十二柱の神々が出現。
衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、時量師神(ときはかしのかみ)、和豆良比能宇斯神(わずらいのうしのかみ)、道俣神(ちまたのかみ)、飽咋之宇斯神(あきぐいのうしのかみ)、奥疎神(おきさかるのかみ)、奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)、辺疎神(へさかるのかみ)、辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ) -
『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神。
『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)とある。 - 「上流の方は水の流れが速く、下流はおそい」ので、海の真ん中で身体(からだ)を洗った時に、十柱の神々が生まれた。
・最初の二柱の神:黄泉の国にいたときの穢れから生まれた神(禍の神)、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おおまがつひのかみ)で災厄を司る神とされている。
・次の二柱の神:黄泉の国で取り憑いた禍(わざわい)を直す(取り除く)ときに生まれた神で、神直毘神(かみなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)の二柱と伊豆能売(いずのめ)が生まれている。
・次の六柱の神は、いずれも海の神で、海の底で身体を洗い清めた時に生まれた神です。
海の底で身体を洗い清めた時に生まれた神が、底筒之男命(そこづつのおのみこと)と(底筒男命(そこつつのみこと)。
海中の中間で身体を洗い清めた時に生まれた中筒之男命(なかづつのおのみこと)と中筒男命(なかつつおのみこと)。
海面で身体を洗い清めた時に生まれた神が、表筒之男命(うわづつのおのみこと)と上筒男命(うえつつおのみこと)。 - 最後にうまれた三柱の神々
左の目を洗いになった時に出現した天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右の目をお洗いになった時に出現したツクヨミノミコト(月読命)、鼻をお洗いになった時に出現したスサノオノミコト(須佐之男命)です。
歴史
- 869年(貞観11年): 伝・貞観11年9月15日鎮座、田蓑嶋神社創建。
- 1511年(永正8年): 正面鳥居建立。
- 1631年(寛永8年): 東照宮が祀られる。
- 1702年(元禄15年): 狛犬奉納(元禄15年正月17日奉納)・石製の浪速狛犬としては大阪府下で一番古い。
- 1741年(寛保元年): 住吉神社と改名。
- 1868年(明治元年): 田蓑神社と改名。
参考サイト
- 田蓑神社(たみのじんじゃ) 公式サイト ⇒クリック
- 綱引神事>大阪市 ⇒ クリック
伊藤純「難波八阪神社綱引神事(1)―関連史料と先行研究―」『大阪の歴史と文化財』7, 2001年
野本寛一「難波八阪神社綱引神事(2)―現在の神事と周辺のことなど―」『大阪の歴史と文化財』8, 2001年 - 難波八阪神社 ⇒ クリック
- 大阪天満宮 ⇒ 公式サイト
- 天満宮会館 ⇒ 公式サイト
- 天満天神繁昌亭 ⇒ 公式サイト
- ぷらり街角☆彡 [大阪・天神橋] 天満天神・繁昌亭・上方落語唯一の寄席 ⇒クリック
- くすりの道修町資料館 ⇒公式サイト
- 歯神社(綱敷天神社 末社) ⇒ 公式サイト問合先 綱敷天神社 御旅社へ(TEL 06 6371 1586)
〒530-0017 大阪府大阪市北区角田町2-8 - 綱敷天神社 御旅社 ⇒ 公式サイトTEL 06 6371 1586
〒530-0013 大阪市北区茶屋町12番5号 - 綱敷天神社 御本社⇒ 公式サイトTEL 06 6361 2887
〒530-0026 大阪市北区神山町9番11号