[大阪・西淀川]
佃(つくだ)漁民ゆかりの地
・江戸佃島の住吉神社と田蓑神社(たみのじんじゃ)
田蓑神社(たみのじんじゃ)
TEL 06-6471-5416 〒555-0001 大阪府大阪市西淀川区西淀川区佃1丁目18-14
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
[ 佃(つくだ)漁民ゆかりの地・江戸佃島の住吉神社と田蓑神社(たみのじんじゃ) ]
ワンポイント☆彡
- 田蓑神社前に「佃(つくだ)漁民ゆかりの地」の石碑がある。佃煮発祥の地として有名な東京の佃島。1630年(寛永7年) に西淀川の佃・大和田の漁民が江戸に移住して江戸佃島の起こりとなる。この地にある住吉神社(東京都中央区佃一丁目1-14)は、田蓑神社の御分神霊を奉戴した。
- 大阪市立佃小学校と東京の中央区立佃島小学校は、1965年(昭和40年)12月2日 より姉妹校となり、毎年交歓会が行われている。
- [大阪・西淀川] 田蓑神社(たみのじんじゃ)・住吉三神、神功皇后を祀る・創建貞観11年(869年)
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ワンポイント・年中行事など☆彡
「佃(つくだ)漁民ゆかりの地」の碑は、住吉三神と神功皇后を祀る田蓑神社(たみのじんじゃ)の前にあるんだね。
そう言われても、その「佃漁民ゆかりの地」の佃漁民?そのものが分からないから、さっぱりやん。佃、つくだと言ったら佃煮(つくだに)くらいしか思い浮かばないよ。
その佃煮のそもそもは、江戸時代、佃島にある住吉神社へ白魚を煮詰めたものお供えした。それが佃煮として全国にひろまったんだよ。もちろん、諸説あるけどね。
あっ、ひょっとすると、神功皇后が三韓征討の帰りに田蓑嶋に立ち寄られ、その時に海士(漁師)が白魚を献上したという田蓑神社のお話しとつながってるのかしら?
そうなんですよね。つなげたくなりますね。でも、諸説あると言うことはわかっているようでわかっていないかも…なので、調べてみてね。
ただ、佃煮発祥の地として有名な東京の佃島は、1630年(寛永7年)に、摂津国佃村(現在の大阪府大阪市西淀川区佃)の漁夫33人と田蓑神社の宮司
平岡正太夫の弟、権太夫好次が江戸に移住して、江戸の佃島の起こりとなっているんだよ。この地にある住吉神社(現・東京都中央区佃一丁目1-14)は、江戸佃島に移住した時に田蓑神社の御分神霊を奉戴して創建されたとのことです。
大阪の佃の人たちが、どうして東京に行ったのかしら?
そうだよね。そもそもが気になりますね。すこしざっくりと整理してみましょう。
そもそもは、徳川家康公とのご縁が発端になっている。
それは、1586年(天正14年)に、徳川家康公が、漁民の集落があったこの田蓑嶋の地に多田の廟(川西市多田神社)に参詣の時に立ち寄られた折り、田蓑嶋の漁民たちは漁船を出して神崎川の渡船を奉仕したことなんだ。
そして、家康公が江戸幕府を開いた後に、その功により漁民等には「全国どこで漁をしても良し、又、税はいらない」という無運上極印札(無税・ 無鑑札)の特権が与えられたんだ。また、田も作れと命じられたという。その時に田蓑嶋を佃と改めた。その後、1631年(寛永8年)に田蓑嶋神社内に徳川家康公が奉られることになったんだ。
1590年(天正18年)、家康公が関東へ下降の時、佃・大和田の漁民34人の村人が江戸へ下った。江戸に定住した佃漁民たちは、隅田川河口の干拓の許可を得て造成事業し、正保元年(1644年)に完成させた。そして、その地を出身地にちなんで、そこを佃島と名づけたという。
それで、大阪市立佃小学校と東京の中央区立佃島小学校が、姉妹校になっているんだ。
[田蓑神社(たみのじんじゃ)の由緒]
「佃(つくだ)漁民ゆかりの地」の石碑 基本情報☆彡
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
名 称 | 「佃(つくだ)漁民ゆかりの地」の石碑 |
---|---|
別 称 | - |
所在地 | 〒555-0001 大阪府大阪市西淀川区西淀川区佃1丁目18-14 |
見学時間 | - |
休日 | - |
電話 | - |
拝観料 | - |
駐車場 | 有り(無料) |
アクセス | 阪神電鉄本線「千船(ちぶね)」駅下車→徒歩約15分。 JR東西線「御幣島(みてじま)」駅下車→徒歩約20分。 |
その他 | - |
近くの宿泊施設
めもめも(知っ得情報)
- 森孫右衛門: 慶長年に江戸入りした佃村の庄屋、森孫右衛門は、江戸からふるさと佃へ 帰って、お墓は正行寺(佃1丁目)にある。
- 神崎川: 延暦4年(785年)、桓武天皇は和気清麻呂に神崎川と淀川を結ぶ工 事を命じた。これにより、京から瀬戸内へ出る航路は神崎川回りが最短コースとなる。
- 神功皇后の別表記:
気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、 『日本書紀』、和風諡号
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、『古事記』
大帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、『古事記』
大足姫命(おおたらしひめのみこと)、『続日本後紀』
大帯日姫命(おおたらしひめのみこと)、『日本三代実録』 - 住吉大神の別名:
三筒男神(さんつつおのかみ)
墨江三神・墨江三前大神(すみのえさんじん・すみのまえのおおかみ)
住吉三神・住吉明神(すみよしさんじん・すみよしみょうじん)
筒之男三神(つつのおさんじん) - 住吉大神のお出まし:
国生みの神、伊邪那岐命(いざななぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は、大八島を生む。
伊邪那美命が、火之迦具土神(ひのかぐつち)を生んだ時に大火傷を負い、黄泉国に旅立つ。
その後、伊邪那岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行う。この時、瀬の深いところで底筒之男神、瀬の流れの中間で中筒之男神、水表で上筒之男神がそれぞれ生まれ出たとされる。
歴史
参考サイト
- 田蓑神社(たみのじんじゃ) 公式サイト ⇒クリック
- 綱引神事>大阪市 ⇒ クリック
伊藤純「難波八阪神社綱引神事(1)―関連史料と先行研究―」『大阪の歴史と文化財』7, 2001年
野本寛一「難波八阪神社綱引神事(2)―現在の神事と周辺のことなど―」『大阪の歴史と文化財』8, 2001年 - 難波八阪神社 ⇒ クリック
- 大阪天満宮 ⇒ 公式サイト
- 天満宮会館 ⇒ 公式サイト
- 天満天神繁昌亭 ⇒ 公式サイト
- ぷらり街角☆彡 [大阪・天神橋] 天満天神・繁昌亭・上方落語唯一の寄席 ⇒クリック
- くすりの道修町資料館 ⇒公式サイト
- 歯神社(綱敷天神社 末社) ⇒ 公式サイト問合先 綱敷天神社 御旅社へ(TEL 06 6371 1586)
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〒530-0013 大阪市北区茶屋町12番5号 - 綱敷天神社 御本社⇒ 公式サイトTEL 06 6361 2887
〒530-0026 大阪市北区神山町9番11号