[兵庫・川西] 三ツ矢サイダー発祥の地・平野鉱泉工場跡・そもそもは明治時代、外国人接待用の炭酸水調達から・川西市の史跡

[兵庫・川西]
三ツ矢サイダー発祥の地・平野鉱泉工場跡
そもそもは明治時代、外国人接待用の炭酸水調達から・川西市の史跡

三ツ矢サイダー発祥地 所在地: 〒666-0121 兵庫県川西市平野3丁目23-1
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )

ぷらり街角☆彡 三ツ矢サイダー発祥の地・平野鉱泉工場跡

[ 三ツ矢サイダー発祥の地・平野鉱泉工場跡 ・「三ツ矢塔」]

 

 

三ツ矢サイダー発祥の地

 

 三ツ矢サイダー発祥の地、能勢電がすぐ脇を走っているんだね。なんか不思議な雰囲気だね。歴史をさかのぼってタイムスリップしている感じだよ。



 そうそう、ここが三ツ矢サイダー発祥の地、平野鉱泉工場跡だよ。

 

 

 平野鉱泉工場跡と三ツ矢サイダー発祥の地って、結びつかないよね。どんな歴史なんだろう?

 

 この川西市平野には、摂津三湯のひとつである名湯「平野の湯」と呼ばれた炭酸泉の湯治場があったんだよ。江戸時代末期には廃れちゃったけど。
明治時代になって、来日外国人接待用に提供する炭酸水を探すために、明治政府は炭酸泉の水質を調査を依頼したのが、当時、大阪の造幣局技術顧問、イギリス人のウィリアム・ガランさんであった。彼がこの平野温泉の水を分析して「理想的な飲用鉱泉である」としたことから、炭酸水の御料品工場が建設されたのがそもそもなんだって。

 

 そうなんです。「三ツ矢サイダー」となるそもそもは、平野の地の天然鉱泉「平野の鉱泉」から湧き出た炭酸水を「平野水」と名付け、明治17年(1884年)に三菱商会から発売されたのがはじまりなんです。

 

 いまでも、三ツ矢サイダーのラベルに「SINCE 1884」ってあるのが、「平野水」がはじめて発売された明治17年(1884年)のことだったんですね。

 

「三ツ矢」の名前の由来

 

 ねえねえ、この「三ツ矢」の名前の由来もおおもしろいよ。
 平安時代中期、多田源氏の祖である源満仲(みなもと の みつなか)が、住吉大社のご神託にしたがって、三つ矢羽根の矢を放った。そして、その矢の落ちた所が多田(現在の兵庫県川西市多田)なんだって。そして、そこにに居城(新田城、多田城)を建てた。また、満仲はこの矢を探すのに頑張った孫八郎に、領地と「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えたと伝わっているんだって。


温泉発見伝説

 

 あと、温泉発見伝説なんだけど、満仲が鷹狩りに出かけた時に、近くの塩川の谷間で一羽の鷹が湧き出ている水で足の傷を治して飛び立つのを目撃したという。そうそう、この湧水が霊泉としてあがめられ、摂津三湯のひとつである名湯「平野の湯」のそもそもだね。

 

 

 

 

 

 

 

 


三ツ矢サイダー発祥の地・平野鉱泉工場跡 基本情報 

( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
正式名称 三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)
英語表記 -
別称 三ツ矢サイダー発祥の地・平野鉱泉工場跡
所 在 地 〒666-0121 兵庫県川西市平野3丁目23-1
開館時間 -
休館日 -
入館料 -
問合せ先 TEL:072-740-1161 FAX:072-740-1187 
川西市役所 市民環境部 文化・観光・スポーツ課(観光)
〒666-8501 川西市中央町12番1号 市役所2階
駐車場 -
アクセス 能勢電鉄「平野駅」下車→徒歩→北へ400m
そ の 他 平野鉱泉工場跡にある「旧御料品製造所」と「旧源泉地施設」(川西市教育委員会「市登録文化遺産」第1号)
【三ツ矢記念館】現在は公開中止、再開時期は未定。

三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)案内板

[三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)案内板 ]

 

 

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知っ得情報☆彡

 

  • 【「三ツ矢」の歴史・概略】
  • 江戸時代:平野鉱泉は多田神社の用人(家老)三ツ矢旗兵衛の領地。
  • 1884年(明治17年) 三菱財閥が宮内庁から多田銀山の払い下げ。三菱商会が「平野水」・炭酸水を販売。
  • 1885年(明治18年) 明治屋が採取権を得て、「一本矢礦泉」に改名し販売。
  • 1889年(明治22年) 明治屋、「三ツ矢平野水」の名称で販売。販売不振続く。
  • 1905年(明治38年) 三ツ矢平野礦泉から「三ツ矢平野水」販売。
  • 1907年(明治40年) 帝国礦泉株式会社(旧 三ツ矢平野礦泉合資会社)が設立される。「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」を発売。
    1921年(大正10年) 「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」を「三ツ矢シャンペンサイダー」に改称。
  • 1921年(大正10年) 帝国礦泉株式会社は加富登麦酒に吸収合併され、日本麦酒鑛泉株式会社となる。
  • 1933年(昭和8年) 日本麦酒鑛泉株式会社は大日本麦酒株式会社と併合。「三ツ矢シャンペンサイダー」は引続き製造販売。
  • 1946年(昭和21年)7月 戦争で一時製造中断から製造再開。
  • 1949年(昭和24年) 大日本麦酒株式会社は、朝日麦酒株式会社と日本麦酒株式会社に分割(GHQ指示の過度経済力集中排除法による会社分割)。
  • 1951年(昭和26年) 砂糖を使った「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」発売。
    1968年(昭和43年) 「三ツ矢サイダー」に改名。

 

  • 【ワンポイント】
    ・「平野水」は、夏目漱石も飲んでいたと。『行人』・『思い出す事など』にも登場する。
  • 「昔の計を繰り返す勇気のなかった余は、口中を潤すための氷を歯で噛み砕いては、正直に残らずはき出した。その代り日に数回の平野水を一口ずつ飲まして貰う事にした。平野水がくんくんと音を立てるような勢で、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった。
    けれ ども咽喉を通り越すや否やすぐとまた飲みたくなった。余は夜半にしばしば看護婦から平野水を洋盃に注いで貰って、それをありがたそうに飲んだ当時のをよく記憶している。」
    (夏目漱石「思い出す事など・二十六」『夏目漱石全集7』株式会社筑摩書房、1988、pp. 645-646)


    「お兼さんは黒い盆の上に載せた平野水と洋盃を自分の前に置いて、「いかがでございます か」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「い え私が」と云って急に銀を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見てい た。その手には昨夕気がつかなかった指環が一つ光っていた。
    自分が洋盃を取上げて咽喉を潤した時…」
    (夏目漱石「行人・六」『夏目漱石全集7』株式会社筑摩書房、1988、pp. 22-23)


  • ・大正天皇の皇太子時代の1897年には御料品として採用。

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 三ツ矢サイダー発祥地で楽しんだら、こっちも観ておくと良いよ。
 一押しが、ここ「大阪くらしの今昔館」ですよ。

 

 

 

「大阪くらしの今昔館」


大阪市の地域歴史博物館。大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、大阪の都市居住に関する歴史と文化をテーマとする日本で最初の開館。住まい専門の博物館。江戸時代後期から戦後にかけての住居に関する資料や模型が展示。

 

大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」・ぷらり歴史路

 

 

 




関連情報

  •  
  • 川西市役所 公式サイト ⇒ クリック
    TEL:072-740-1161 FAX:072-740-1187 市民環境部 文化・観光・スポーツ課(観光)
    〒666-8501 川西市中央町12番1号 市役所2階
  • 三ツ矢サイダー ミュージアム (アサヒ飲料 明石工場) 公式サイト ⇒ クリック
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  • 天満天神・繁昌亭 公式サイト ⇒ クリック
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  • 一本松海運のクルーズ 公式サイト ⇒ クリック
  • 吉本興業株式会社 公式サイト ⇒ クリック1912年(明治45) 吉本吉兵衛、せい夫婦が天満八軒のひとつ「第二文芸館」を入手して、寄席経営の第一歩を踏み出すのが始まり。

    本店・大阪本部:
    TEL>06-6643-1122 FAX>06-6643-1155
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    東京本部:
    TEL>03-3209-8300 FAX>03-3209-8333
    〒160-0022 東京都新宿区新宿5丁目18番21号
    旧新宿区四谷第五小学校

  • 吉本新喜劇 オフィシャルサイト ⇒ クリック
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    TEL>06-6352-4874 午前11時~午後7時30分
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  • 国立文楽劇場 ⇒ クリック1984年に日本で4番目の国立劇場として1984年に開館。
    ユネスコ無形文化遺産・代表一覧表に記載の「人形浄瑠璃・文楽」の公演をはじめ演劇や舞踊が大ホールで行われる。

    TEL>06-6212-2531
    〒542-0073 大阪府大阪市中央区日本橋1-12-10
    最寄り駅:[地下鉄] 堺筋線・千日前線 日本橋駅 7番出口より徒歩約1分

  • 大阪くらしの今昔館  ⇒ クリック
    大阪市の地域歴史博物館。大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、大阪の都市居住に関する歴史と文化をテーマとする日本で最初の開館。住まい専門の博物館。江戸時代後期から戦後にかけての住居に関する資料や模型が展示。
2019年04月01日