[アマビエ伝説]
肥後国の海中より出でたアマビエと病流行・早々私を写し人々に!
「アマビエ」って?
「アマビエ」って、最近よく耳にするけど、妖怪なの?
そうそう、新型コロナウイルスの感染拡大の注意喚起が言われ出してから、よく話題にあがりますね。厚生労働省でも新型コロナウイルス感染症拡大阻止の呼び掛けアイコンもアマビヱをモチーフにしているね。
そもそも、「アマビエ」って何ですか?
最初、アマエビと思っていたら、アマビエ、それも原文ママだと「アマビヱ」と言うらしいけど。
「アマビヱ」(原文ママ)のそもそもは、挿絵付で掲載された瓦版からのようです。
その瓦版には、「アマビヱ」が海中から現れた姿が描かれ、そこには以下の内容が書かれています。
[出典: 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 参考資料(84コマ目「肥後国海中の怪(アマビエの図)」): 湯本豪一編『明治妖怪新聞』柏書房, 1999年]
肥後国海中江毎夜光物出ル所之役人行
見るニづの如く者現ス私ハ海中ニ住アマビヱト申
者也當年より六ヶ年之間諸国豊作也 併
病流行早々私写シ人々ニ見せくれと
申して海中へ入けり右写シ役人より江戸江
申来ル写也
弘化三年四月中旬
現在の熊本県である肥後の国で、毎夜、海中に光るモノが出るという不思議があった。
役人が行って見ると、この図にあるようなモノが現れた。
そして、「私は、海中に住む アマビヱ と申す者なり。
当年より6年間、諸国は豊作であるが、併せて病が流行する。早々に私の姿を写して人々に見せなさい」と言って、海中に帰っていった。
右の写し、役人より江戸にまで伝えられた写しなのである。
弘化三年(1846年)四月中旬
「アマビヱ」は「アマビコ」?
ここでは、アマビヱの姿形については言葉ではなく図で描かれています。
また、この写しを人々に早く見せよとはあるが、その効果などの記載はないのです。
また、「アマビヱ」という名称についての記録は、この瓦版でしか発見できていないということです。「アマビヱ」に似ているモノとしては、「アマビコ」がある。
「アマビヱ」は「アマビコ」の言い間違えではないかと考えられている。
同じようなモノとしては、尼彦、あま彦、天彦、天日子、海彦、あまびこ、尼彦入道、天彦入道、アリエなどがあげられる。
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「アマビヱ」&「アマビコ」の伝承のポイント
さてさて、各地で伝承される「アマビヱ」&「アマビコ」伝説の伝承のポイントは、おおよそ以下の5点に分類される。
① 海中からの出現。
② 豊作や疫病の予言。
③ 姿を写した絵による除災。
④ 3本以上の鰭又は足による直立。
⑤(あなたの思ったポイントは?)
各地の「アマビヱ」&「アマビコ」伝説
- アマビヱ: 肥後国に海中から現れ、豊作、病を予言する。弘化3年(1846年)4月中旬の瓦版にアマビヱの図掲載される。
- 尼彦入道: 日向国に「尼彦入道」が、熊本士族 芝田忠太郎の目前に出現。
- 海彦(アマビコ): 坪川本『越前国主記』第五部に海彦(アマビコ)の記述がある。
越後国浦辺ニ而海中ゟ出候而 當辰年日本
之人七歩通り可死 我が形の絵図を見たる
人ハ死をのかるゝと申しき
(海彦之形)
天保拾五年辰春
越後国の浦辺にて海中より出てた海彦が、「当年辰の年、日本の人が七割死んでしまう。私の姿の絵図を見た人は死を逃れることができると申した。
(海彦之形)
天保15年(1844年)辰春
「アマビヱ」&「アマビコ」伝説の来た道?
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参考資料など
- 福井大学附属図書館・蔵書検索サービス ⇒クリック
- レファレンス協同データベース ⇒クリック
- 湯本豪一編 84コマ目「肥後国海中の怪(アマビエの図)」『明治妖怪新聞』柏書房、 1999年。京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
- 志村 有弘 監修『図説地図とあらすじで読む日本の妖怪伝説』青春出版社、2008年8月
- 森田 健司 著『かわら版で読み解く江戸の大事件』彩図社、2015年7月
- 「江戸時代の3本脚幻獣・アマビコ、古文書に“出没” 県立図書館に最古記録?・福井県」朝日新聞 2005年11月5日 朝刊 福井全県
- 生活1 「(怪を訪ねて:1)安達ケ原の鬼婆 福島県二本松市 奇岩に宿る母の愛 【大阪】 」朝日新聞 2006年08月08日 朝刊
- 長野 栄俊「予言獣アマビコ考--「海彦」をてがかりに」『若越郷土研究』福井県郷土誌懇談会、2005年1月, vol.49, no.2, p.1-30.