[京都] 京都の名水・御手洗井(みたらいい)

[京都]
京都の名水・御手洗井(みたらいい)・祇園会の7月14日から24日に開放

京都の名水・御手洗井(みたらいい)〒604-8152 京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町

[京都] 京都の名水・御手洗井(みたらいい)・祇園会の7月14日から24日に開放・ぷらり歴史路

[京都 御手洗井(みたらいい)]

 

 

 わっ、なになに こんなところに なんだろう?

 えっ、ここは、ちょうど四条烏丸の交差点から少し上がった(北に行った)烏丸通の東側かな。門も閉まっているみたい。

 

 うんうん、由緒がかいてある。

 

手洗水町名由来
例年祇園會中(七月十五日~二十四日迠)この井を開いて
神水を領つ秀吉の頃町民の申出により町名となる
 

御手洗井由緒
此地は往古祇園社御旅所社務藤井助正の屋敷地で
庭前に牛頭天王社を建て毎朝この霊水を奉供した
永禄十一年織田信長上洛して御旅所を移転の後も
この井水の格別なるを聞き井戸に施錠し鍵は町分に
渡し置き毎年祇園會の時のみ之を開いて諸人へ
神水を施行せしめたと云う
然して東裏竹藪より竹二本を伐り取り山科より丈八の
松二本を持参して井前の鳥居に結びつけて七五三縄を
張るを例とした以降連綿現在に及ぶ明治四十五年三月
烏丸通拡張の為旧地より原形のまゝ其の東方現地に
移す深さ七尋半水質清冷にして都下の名水として
著名である毎年七月十四日井戸換え二十四日閉じる

 

 うんうん、わかったようでわからないよ。
 祇園会の7月14日から24日に井戸を開放するみたいだね。と、秀吉さんの時代に、町の住んでいる人たちからの申出で、手洗水という町名になったみたいね。

 

 この由緒によると、御手洗井(みたらいい)は、八坂神社の御旅所(おたびしょ)だった場所にある井戸なんですね。そもそも、この場所は祇園社の御旅所で、ここに務めていた藤井助正のお屋敷だったそうです。このお庭の前に牛頭天王社を建てて、毎朝この霊水を奉供していたそうです。

 1568年(永禄11年)、織田信長が、上洛して御旅所は移転させられましたが、その後もこの井水の格別なことを聞いて、井戸に施錠し、鍵は町分に渡して管理されました。毎年の祇園會の時のみここを開いて、みんなにへ神水を施行したと伝わっています。こうして、東裏の竹藪より竹二本を伐り取り、山科より丈八の松二本を持参して井前の鳥居に結びつけて七五三縄を張るを例とした以降、連綿現在に及ぶとあります。

明治45年3月、烏丸通拡張のため旧地より原形のまま現在の場所に移されましたが、その水質は清冷にして京都の名水として広くし知られています。

現在普段、御手洗井は閉じられていますが、祇園会(ぎおんえ)の7月14日から24日の間、開放されています。

 

 

 

 

御手洗井(みたらいい) 概要

 

名 称 御手洗井(みたらいい)
別称 -
所在地 〒604-8152 京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町
開館時間 -
休館日 -
入館料 -
問合せ先 -
駐車場 無し
アクセス 地下鉄「四条烏丸駅」下車…徒歩約4分
その他  

 

 

めもめも(知っ得情報)

  • 祇園会(ぎおんえ):昔は、毎年陰暦6月7日から14日まで行われたが、現在では7月14日から24日の開催。
  • 御旅所(おたびしょ): 神社の祭礼において神(一般には神体を載せた神輿)が巡行の途中で休憩または宿泊する場所、または神幸の目的地。
  •  

 

 

 

参考サイト

 

公益財団法人 京都市埋蔵文化財研究所 ⇒ http://www.kyoto-arc.or.jp/

 

 

 

参考資料

  • 『山城州東山法観禅寺仏舎利塔記』暦応元年・1338年
  • 「史跡法観寺境内」p. 3
  • 「法観寺」『国史大辞典』吉川弘文館
  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』, pp. 216 - 217
  • 「史跡法観寺境内」『京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告』2009 – 11, 京都市埋蔵文化財研究所、2010, p. 3
  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』, 平凡社, 1979

 

 

 

2022年10月08日