[岐阜・中津川]馬籠宿と中山道

馬籠宿・馬籠観光協会
0573 69 2336 〒508-0502 岐阜県中津川市馬籠4300-1
 ( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )


ここが、中山道の馬籠宿、木曽の十一宿の最南端なんだ。この石畳を歩くと、昔の旅人の雰囲気が伝わってくるね。

 

わぁ、すごい坂だわ。ここを歩いて旅したんだね。上の馬籠見晴台から下ってきたけど、下まで600mもあるんだ。

 

 


中山道はね、江戸の日本橋を起点として、京都まで約530kmの道なんだ。この中山道には、69の宿場がおかれていたんだ。ちなみに、東海道は、490kmだから、比べるとちょっと遠回りだね。ここ馬籠宿は、江戸へ80里半、1里は3.93kmだから約316kmで、京へは、52里半とあるから、約206kmだね。

 


宿場の面影を遺すものとして、「一里塚」、「桝形」、「高札場」や「本陣・脇本陣」がみられるよ。

 


「高札」は、来るときあったよ。


この馬籠宿は、明治に入って中山道に変わる国道開設(1882年)、国鉄中央線開通(1912年)により人通りが減少した。こうした新しい交通で過疎になるが、このために昔の面影を遺してこれたとも言える。そして、高度成長期に観光地として脚光を浴びるようになる。が、反面、馬籠という観光資源を、一方的な乱開発や環境破壊などから、この馬籠という「良好な自然環境」を観光資源を守るという「住民協定の制定」や観光協会の発足、そして、 住民パワーで町並みの電柱撤去などを経て、環境文化研究所から提案された「フィールド博物館構想」そして整備事業があって、現在のこの馬籠宿がみられるんだ。

 

 

 

岐阜・馬籠宿・ぷらり歴史路

 

 

 


中山道 馬籠宿 概要

 

名 称 中山道 馬籠宿
別称 馬籠宿(まごめじゅく)
所在地 〒508-0502  岐阜県中津川市馬籠
概要・沿革 中山道の馬籠宿、木曽の十一宿の最南端。江戸へ80里半、京へは、52里半とある。石畳の敷かれた坂にある宿場である。 
概要・特色 現在、「フィールド博物館」として馬籠宿は、道の両側には土産物屋や一般の家屋、旧本陣であった藤村記念館や清水屋資料館などがならび、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。
見 所 十曲峠石畳・菊姫五輪の塔・馬籠諏訪神社・清水屋資料館・水車塚・枡形・水車小屋・馬籠脇本陣史料館・馬籠の石畳・馬籠自然植物園・馬籠宿展望台・永昌寺など。
問合せ先 TEL 0573-69-2336(08:30~17:00) FAX 69-2653
馬籠観光協会 〒508-0502 岐阜県中津川市馬籠4300-1
アクセス 【電車】名古屋駅→JR・中央本線→「中津川」駅→バス→馬籠宿
【自動車】中央自動車道→中津川I/C→国道19号→約20分→馬籠宿
駐車場 有り(下入口付近駐車場・無料)参考サイト⇒クリック 
その他  

 

 

 

中山道 馬籠宿の歴史

 

  • 江戸幕府は、幕府管轄道路を定め宿駅を定めた。
  • 慶長年間に開通した中山道は、絶えず道筋を変えていたことが、馬籠峠の位置の変遷をみてもわかる。
  • 中山道は、江戸・日本橋を起点で、京都まで132里で、69の宿場が設けた。
  • 「木曽路」とも「木曽街道」とも呼ばれていた。
  • 当初は、「中仙道」と書かれていた。が、享保元年(1716)に「中山道」と書かれるようになった。
  • 明治に入って中山道に変わる国道開設(1882年・明治15年)、国鉄中央線開通(1911年・明治44年)がある。
  • 1892年(明治25年)、賤母(しずも)新道ができる。(木曽川沿いに中山道を通らずに岐阜に通ずる道)
  • 1895年(明治28年)、馬籠宿大火、本陣をはじめ65戸焼ける。
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めもめも(知っ得情報)


  • 馬籠脇本陣史料館の前に、山口誓子の句碑がある。この碑は、昭和57年12月に建立で、文字は山口誓子自身の筆になるものである。

    山口誓子の句碑
    「荷道の坂に熟柿灯を点す 誓子」

  • 十辺舎一九の狂歌碑
    「渋皮の剥(む)けし女は見えねども 栗のこはめしここの名物」
  • 正岡子規の句碑
    「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな」子規
  • 芭蕉の句碑
    「送られつ 送りつ 果は 木曽の穐」
  • 島崎藤村の「是より北木曽路」の碑
    「是より北木曽路 藤村老人」

  • 『かけはしの記』に書かれた木曽路の印象。 



    「妻籠通り過ぐれば三日の間寸時も離れず馴れむつびし岐蘇河に別れ行く。何となく名残惜まれて若し水の色だに見えやせんと木の間/\を覗きつゝ辿れば馬籠峠の麓に来る。馬を尋ぬれども居らず。詮方なければ草鞋はき直して下り来る人に里数を聞きながら上りつめたり。此山を越ゆれば木曾三十里の峡中を出づるとなん聞くにしばしは越し方のみ見かへりてなつかしき心地す。

    白雲や青葉若葉の三十里 

    山を下れば驟雨颯然とふりしきりて一重の菅笠に凌ぎかね終に馬籠駅の一旅亭にかけこむ。夜に入れば風雨いよ/\烈しく屋根も破れ床も漂ふが如く覚えて航海の夢しば/\破らる。」


    (出典:正岡子規著「かけはしの記」『現代日本紀行文学全集 - 中部日本編 - 』ほるぷ出版, 昭和51年8月, pp. 147-153)

 

参考資料・サイト

 

  • 島崎藤村『島崎藤村全集 23 夜明け前 第1部 上』筑摩書房, 1957.10
  • 島崎藤村『島崎藤村全集 24 夜明け前 第1部 下』筑摩書房, 1956.5
  • 島崎藤村『島崎藤村全集 25 夜明け前 第2部 上』筑摩書房, 1957.10
  • 島崎藤村『島崎藤村全集 26 夜明け前 第2部 下』筑摩書房, 1957.12
  • 北小路 健『木曽路文献の旅 [正] - 『夜明け前』探究 - 』芸艸堂, 1977年
  • 北小路 健『木曽路文献の旅 [続] - 『夜明け前』探究 - 』芸艸堂, 1975年
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  • 正岡子規『かけはしの記』は、1891(明治24)年8月に書かれ、初出が、『日本』日本新聞社, 1892(明治25)年5月 が、初出。
  • 『子規全集 第十卷』改造社, 1929年
  • 監修志賀直哉ほか『現代日本紀行文学全集 中部日本編』ほるぷ出版, 1976年
  • 正岡子規『かけはしの記』青空文庫, 2003年 ⇒ クリック
  •  
  • 佐藤孝之編『古文書の語る地方史』天野出版工房, 2010年8月
    安池尋幸著「12 木曽からの手紙 夜明け前、相州の海」pp. 142-153
  • 滝沢忠義「馬籠峠」『峠への挽歌 - 信州の峠をたずねて - 』ほおずき書籍, 平成11年, pp. 56-63
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  • 中山道木曽路馬籠宿 馬籠観光協会のオフィシャルサイト ⇒ クリック
    馬籠観光協会
    TEL 0573-69-2336(08:30~17:00) FAX 69-2653
    〒508-0502 岐阜県中津川市馬籠4300-1

  • 馬籠の文化・歴史を感じるWEBアーカイブ / 馬籠ルネッサンス実行委員会 ⇒ クリック
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周辺ステキなグルメ&ショッピング・行雲流水

馬籠脇本陣史料館
営業時間:09:00~17:00TEL/FAX:0573-69-2108
岐阜県中津川市馬籠4253-1

 

周辺宿泊施設

 

 

 

 

 

  • [岐阜・中津川]馬籠宿と中山道
2015年10月04日