江戸時代の時間と時刻
「お江戸日本橋七ツ立ち~♬」の七ツって何時頃?
品川宿は、東海道五十三次の宿場で、東海道の第一の宿なんだね。
「お江戸日本橋七ツ立ち 初上り 行列そろえて~ あれわいさのさ~♬」
「こちや 高輪~♬」で、夜明けの提灯消したんだったね。
それから「恋の品川 女郎衆に 袖ひかれ~♬」と、品川宿が出てくるね。
日本橋から品川宿までの距離は、約8kmくらいだったよ。歩いて2時間位なのかしら。
さっきの『お江戸日本橋』(おえどにほんばし)の歌にある「七ツ立ち」の七ツって何時頃なんだろう?
世間では、午前4時頃と言われている場合がありますが、 江戸時代の時刻は、今とは大きく異っています。江戸時代の時刻の考え方は、「日の出」と「日没」を境に、まず昼夜を分けます。そして、それぞれを六等分して数えるんです。この「日の出」と「日没」を基準にして分けるというは、季節によって時刻の区分の時間が変化することになります。
したがって、「七ツ」って「明け六ツ(日の出のおよそ30分前)」よりは早く、夜明け前には間違いないのですが、現在の何時かということは、季節によって「日の出」と「日没」が違うので一概に何時だとは言い切れないですね。
みんな、時間をどうやって知ったんだろう?腕時計やスマホないのにね。
江戸時代は、子から亥までの12の辰刻を、鐘や太鼓で知らせたんだよ。それが「時の鐘」なんだね。「お江戸日本橋七ツ立ち~」の七つは、この時の鐘が撞かれた回数なんだよ。
「七ツ」って、「ななつ」と読むの?ほかのもなんて読むのかしら?
読み方も大事なことですね。
簡単な表にまとめてみました。
※一辰刻(しんこく)は今の2時間。この2時間の始まる辰刻(時刻)を初刻(しょこく)、中間の正刻(せいこく)の二刻に分け、今の1時間を表していました。つまり、子の辰刻は午後11時から午前1時まで、子の正刻は午前0時になる。また午前1時の初刻のは、九ツ半となるのです。
正刻 | 辰刻 (しんこく) |
備考 | ||
---|---|---|---|---|
0時 | 子(ね) | 九ツ(ここのつ) | 夜九ツ | 夜半(やはん) |
2時 | 丑(うし) | 八ツ(やつ) | 夜八ツ | 鶏鳴(けいめい) |
4時 | 寅(とら) | 七ツ(ななつ) | 暁七ツ | 平旦(へいたん) |
6時 | 卯(う) | 六ツ(むつ) | 明け六ツ | 日出(にっしゅつ) |
8時 | 辰(たつ) | 五ツ(いつつ) | 朝五ツ | 食時(しょくじ) |
10時 | 巳(み) | 四ツ(よつ) | 昼四ツ | 隅中(ぐうちゅ) |
12時 | 午(うま) | 九ツ(ここのつ) | 昼九ツ | 日中(にっちゅう) |
14時 | 未(ひつじ) | 八ツ(やつ) | 昼八ツ | 日昳(にってつ) |
16時 | 申(さる) | 七ツ(ななつ) | 夕七ツ | 晡時(ほじ) |
18時 | 酉(とり) | 六ツ(むつ) | 暮れ六ツ | 日入(にちにゅう) |
20時 | 戌(いぬ) | 五ツ(いつつ) | 宵五ツ | 黄昏(こうこん) |
22時 | 亥(い) | 四ツ(よつ) | 夜四ツ | 人定(にんじょう) |
江戸の時間と時刻
江戸時代には、「定時法」と「不定時法」の二つの時間の数え方があります。
・定時法は、天文暦法で定められたもの。
・不定時法は、生活の便宜上、一般的に使われたもの。
◆ 定時法
定時法は、一日を十二辰刻に等分(12等分)し、それぞれに十二支の名(子・丑・寅~亥)をあてた。一辰刻(しんこく)は今の2時間となる。
そして、各辰刻を初刻・正刻の二刻に分け、今の1時間を表した。
つまり、子の辰刻は午後11時から午前1時まで、子の正刻は午前0時になる。
さらに、各辰刻を四つに分け、30分を表し、一つ時、二つ時、三つ時とした。
「丑三つ時」の三つ時とは、この丑の辰刻の三つ目の区切りの時を表します。
[参考:中の数字が現在の時間・その外側が十二支]
◆ 不定時法は、
一般的に使われた不定時法は、
「日の出(夜明け)」と「日没(日暮れ)」を基準とし、
「日の出」を卯の正刻、「日没」を西の正刻とし、昼と夜とに2分し、さらに昼間を6等分、夜間を6等分して時刻を定めた。
この不定時法では、季節によって昼・夜の長さが違うので一刻は2時間にはならないのです。
知っ得情報☆彡
-
日本の時計のはじまり
- 日本で最初の時計は、水時計、漏刻(ろうこく)という。
これは、天智天皇10年(671年)4月25日(四月辛卯)に天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に作ったとある。(『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条) - この天智10年4月25日(四月辛卯)は、グレゴリオ暦で 671年6月10日にあたり、この 6月10日を「時の記念日」としている。
- この漏刻で、1日を十二刻(とき)に分ける時刻制度を採用した。
この時の時刻は十二辰刻法といって、夜中から十二支の順に、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の刻と呼んだ。 - 室町時代後半から、時刻を知らせる鐘や太鼓を打つ回数を、時刻の呼び名に変化をしていった。江戸時代ではこの呼び方が一般的になっている。
- 水落遺跡の発掘の成果としての漏刻が、復原され飛鳥資料館に展示されている。
- [「漏刻」説明パネル・飛鳥資料館]
- 近江神宮(滋賀県大津市神宮町1-1)
天智天皇をお祀りする近江神宮では、6月10日に時の記念日には漏刻祭が執り行なわれる。
また、時計館宝物館、近江時計眼鏡宝飾専門学校が境内にある。 -
これって何時のこと?
- お八ツ: おやつの時間は、八ツ
- 丑三つ時:お化けが出そうだね
- 「刻そば」の九ツ:
- 「二六時中」って今で言う「四六時中」のこと。
江戸時代は、一日が12刻なので、1日を「二六時中」と表現していた。今は一日24時間なので「四六時中」なんだね。 -
江戸の時間と生活
- 開店ガラガラ:明け六つ
- 閉店ガラガラ:暮れ六つ
参考資料・サイトなど
- 『春秋左氏伝』「昭公5年」掲載
- ・鎌田正著『新釈漢文大系32 春秋左氏伝(三)』明治書院、昭和52年、pp. 1280-1299
- ・貝塚茂樹編『世界古典文学全集第13巻 春秋左氏伝』筑摩書房、2005年1月、pp. 309-314
日本各地の伝説