[兵庫・神戸] 海神社(あまじんじゃ)・神功皇后と綿津見三神・古来よりの垂水の地

[兵庫・神戸]
海神社(あまじんじゃ)・神功皇后と綿津見三神・古来よりの垂水の地

海神社(あまじんじゃ) TEL:078-707-0188 〒655-0028 兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1
 ( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )

[兵庫・神戸] 海神社(あまじんじゃ)・大鳥居

[海神社(あまじんじゃ)・大鳥居]

 

ワンポイント情報☆彡

 

 

 

 

 

海神社(あまじんじゃ)・神功皇后と綿津見三神

 

 ここは、「海神社」とあるけど、なんて訓めば良いのかしら。
 海岸沿いの垂水漁港のところにある大鳥居の扁額には、「海神社」、その反対側の扁額には「綿津見神社」ってあるよ。そして、境内入口にある石の鳥居の扁額には、「海神社」ってある。その側には「官弊 中社 海神社」ってある石柱があるよ。

 

大鳥居の扁額には、「海神社」・海岸沿い側・ぷらり歴史路☆彡

[海岸沿い側の大鳥居の扁額には「海神社」]

 

山側の大鳥居の扁額には「綿津見神社」・ぷらり歴史路☆彡

[山側の大鳥居の扁額には「綿津見神社」]

 

境内入口にある石の鳥居の扁額には「海神社」・その側には「官弊 中社 海神社」の石柱・ぷらり歴史路☆彡

[境内入口にある石の鳥居の扁額には「海神社」・その側には「官弊 中社 海神社」の石柱]

境内入口にある石の鳥居の扁額には「海神社」・ぷらり歴史路

[境内入口にある石の鳥居の扁額には「海神社」]

 

 よくぞ、みつけましたね。この「海神社」の訓み方は、むつかしいですね。海神社(わたつみじんじゃ)と呼ばれている場合を多く耳にします。この訓みは、明治4年(1871年)に採用されたというから、ある意味、新しい訓み方なんですね。
古くは、「あまじんじゃ」とか「たるみじんじゃ」、「日向大明神」、「衣財田(えたからだ)大明神」なんですって。また、大鳥居の扁額にもあったように「綿津見神社」とも表記されているから、よけいになんて訓めば良いのか迷ってしまいます。

 

 
 すこし、社名について整理してみますね。

 文献での古い記述は、
 ・ 『新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)』大同元年(806年)に「播磨明石垂水神 十戸 播万」との記述があり、「たるみ」と訓まれているようです。
 ・ 九条家本『延喜式』(鎌倉時代初期)では、「あま」。
 ・ 武田祐吉本『延喜式』(建長3年・1251年)では、「あま」と「たるみ」の二つある。前者の「あま」は祭祀氏族が明石国造の海直(あまのあたい)からの訓み方、後者は地名からと考えられている。
 ・ 『国内鎮守大小明神社記』(『播磨国内神明帳』)では、海太神・垂水太神。
 ・ 綿津見(わたつみ)の場合は、本居宣長の説から明治4年(1871年)に採用。

 【参考】文献での古い記述は、
 ・『新抄格勅符抄』大同元年(806年)の「播磨明石垂水神 十戸 播万」。
 ・『延喜式神名帳』では「磨国明石郡 海神社三座」。
 ・『国内鎮守大小明神社記』(『播磨国内神明帳』)では、海太神・垂水太神。

 

 なんだか、こんがらがってきちゃった。でも、オーソドックスに「海(あま)神社」だね。

 「綿津見(わたつみ)神社」といえば、この神社の御祭神が綿津見三神さまからなんです。社伝によるそもそもの由来は、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓からの帰り路、暴風雨に遭って、怒濤のため御船を進めることができなかった。その時に皇后さま、みずから身を祓い清めて、綿津見三神(海神三座)をお祀りになってご祈願された。すると暴風雨がおさまった。この綿津見三神をお祀りになった場所に社伝を建てたのがはじまりと伝わっています。

 

 えっ、神功皇后さまの三韓…って、田蓑神社の由緒のお話しを思いだしたよ。

 

参照:[大阪・西淀川] 田蓑神社(たみのじんじゃ)・住吉三神、神功皇后を祀る(抜粋)

 

 そうなんです。
 この「海(あま)神社」の由緒の伝承は、『日本書紀』に記されている廣田神社・生田神社・長田神社・住吉大社の鎮座伝承との関係性はありますね。『日本書紀』には「海神社」に関する記述はみあたらないのです。

 

参考:

 ・ 廣田神社(兵庫県西宮市大社町7番7号)

 ・ 生田神社(兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1)

 ・ 長田神社(兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1)

 ・ 住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89)

 

海神社・本殿 ぷらり歴史路

[海神社・本殿]

 

 


[兵庫・神戸] 海神社(あまじんじゃ)概要

( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )

名 称 海神社(あまじんじゃ)
別称 綿津見神社・日向大明神・衣財田大明神
たるみじんじゃ・かいじんじゃ・わたつみじんじゃ
所在地 〒655-0028 兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1
主祭神 上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)
中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
相殿神 大日孁女尊(おおひるめのみこと)
神体 -
社格等 式内社(名神大)
旧官幣中社
別表神社
創建年 伝・神功皇后朝
本殿様式 三間社流造銅板葺
札所等 神仏霊場巡拝の道73番(兵庫8番)
播磨三大社
文化財 -
参拝時間
-
休日 年中無休
電話 TEL:078-707-0188 〒655-0028 兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1
拝観料 -
駐車場 有り(有料・07:00~19:00)
アクセス ・JR「山陽垂水」駅下車→徒歩約1分。
その他  

 

 

 

 

[兵庫・神戸] 海神社(あまじんじゃ)の歴史

 

  • 創建は、神功皇后朝と社伝にわる。(神功皇后が三韓からの帰り路、暴風雨に遭った時、綿津見三神をお祀りになってご祈願した、その地に社殿を建てたのが始まりと…。)
  • 『新抄格勅符抄』大同元年(806年)の「播磨明石垂水神 十戸 播万」と記述がある。
  • 『延喜式神名帳』の「磨国明石郡 海神社三座」とあり、播磨の国の「名神大社」としてある。
  • 中世以降、戦乱などで社勢衰える。
  • 天正11年(1587年)、豊臣秀吉が垂水郷山内の山林を寄進。
  • 江戸時代、歴代明石藩主が崇敬(毎年2月参拝が通例)・高二石を寄進。
  • 江戸時代初頭、「日向大明神」と呼ばれていた。
  • 明治4年(1871年)、国幣中社に列格した際に「海神社」に復称。
  • 明治30年(1897年)、官幣中社に昇格。
  •  
  •  

 

 

 

めもめも(知っ得情報)

 

  • 海神社の近くには、五色塚古墳・大歳山遺跡・舞子移情閣・明石海峡大橋がある。
  • 下畑海神社(神戸市垂水区下畑町字城ケ原1963番地)は、海神社の元宮と云われている。宝歴年中(1751~)に垂水村鎮座の日向神社(現在の垂水区宮本町の海神社)の御分霊を迎へ下畑村の鎮守の神としてお祀りしたと伝えられている。が、諸説あるようである。

 

参考資料・サイト

  • 史跡五色塚古墳 小壺古墳 発掘調査・復元整備報告書・全国遺跡報告総覧
    ⇒クリック
  • 全国遺跡報告総覧 ⇒クリック
  • 神戸市埋蔵文化財センター ⇒クリック
    TEL:078-992-0656 FAX:078-992-5201
    〒651-2273 神戸市西区糀台6丁目1 西神中央公園内
    ※五色塚古墳出土品等展示。
  • 神戸市教育委員会事務局文化財課 
    文化財保護活用係 TEL:078-984-0741
    埋蔵文化財係 TEL:078-984-0742
    FAX:078-984-0740
    〒650-0044 神戸市中央区東川崎町1丁目3-3 神戸ハーバーランドセンタービル ハーバーセンター4階
  • 神戸市役所 ⇒クリック
    TEL:078-331-8181(代表)〒650-8570 神戸市中央区加納町6-5-1
  •  

  • 清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ) ⇒ クリック
    TEL 0797-86-6641 / FAX 0797-86-6660
    〒665-0837 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地 清荒神清澄寺
  • 清荒神参道商店街 ⇒ クリック
  •  

 

周辺ステキなグルメ&ショッピング

 

神戸元町・創業140年「瓦せんべい」の元祖。

 

 


周辺宿泊施設


  •  
2020年02月24日