[京都・丹後]
天橋立の智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)は国指定・重要文化財
天橋山 智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)TEL:0772-22-2553 〒626-0001 京都府宮津市天橋立文珠小字切戸
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
[天橋山 智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)]
ワンポイント情報☆彡
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智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)は国指定・重要文化財
えっ、これが国指定重要文化財の鉄湯船(てつゆぶね)なの。国指定重要文化財というからもっと大切に保護されているかと思った。でもね、国指定重要文化財の手水鉢、私たちが使わせていただいてる。国指定重要文化財をこんな身近で使わせてもらえるなんて、ありがたや~です。
そうなんです。現在は手水鉢として使用されているんです。
もともとは、寺院の大湯屋でお坊さんの施浴用湯船として作くられて、京丹後市弥栄町の興法寺(こうほうじ)のものであったことが知られます。
形状は、口縁部に鍔をつけ、底部をわずかに細くした盥(たらい)の形です。底の中央には、流れ口の穴をあけている。大形・薄手で鋳技優れているものです。その大きさは、口径172.5cm、高さ63.5cmと。
いろいろ、わかるんですね。
この鉄湯船の側面内部にある鋳出銘からなどからわかったんです。制作は、鎌倉後期・河内国鋳物師・大工山河貞清と考えられています。
現在、室町時代以前の鉄湯船は、東大寺大湯屋、宮津市の成相寺(なりあいじ)と、この智恩寺の一口があるんです。
- 【参考】鉄湯船
- ・東大寺大湯屋:建久八年・1197在銘・重文
- ・成相寺・鉄湯船:正応三年・1290在銘・重文
- ・智恩寺・鉄湯船:正応三年・1290在銘・重文
- ・熊野本宮大社・鉄湯船:建久九年・1198在銘・重文・「建久□□歳次戊午四月廿二日 熊野山本宮釜 願主□□聖奉入」の鋳出銘。
[智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)]
国指定重要文化財(工芸品) 鉄湯船(鎌倉時代) 京都府宮津市字文殊 智恩寺 現在手水鉢として使用されているこの鉄盤は、 本来湯船として制作されたものである。湯船は 寺院の大湯屋において寺僧の施浴に用いられたものである。 この鉄湯船には内側に銘文が鋳出されており、 そこからこの湯船は、もとは興法寺(現竹野郡 弥栄町)のために鋳造されたことがわかる。 同様の湯船は成相寺(宮津市)にも遺されており、 ともに銘文から、正応三年(1290)、河内国 の鋳物師、山川(河)貞清により制作されたことが知られる。 いずれにしても、このような古式の湯船が、 現在二つも宮津市に遺されていることは、珍重 すべきことであり、また中世鋳物資料として、 全国的にも極めて貴重な遺品である。 宮津市教育委員会 |
[案内板より転記]
天橋立の智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)の歴史
- 正応三年(1290年) 物部家重が河内国・鋳物師 山河貞清に命じ、鉄湯船を鋳造。小原山興法寺へ寄進。
- その後 智恩寺に。
天橋山 智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね)について
鉄湯船は、正応三年(1290年)に物部家重が、河内国・鋳物師 山河貞清に命じて鋳造、小原山興法寺(京丹後市弥栄町)に寄進。これが、智恩寺にわたったとされる。鉄湯船の銘には、「正応三年庚寅□月□日、大工山河貞清」の鋳出銘がある。
天橋山 智恩寺・鉄湯船(てつゆぶね) 基本情報 | |
---|---|
名称 | 鉄湯船(てつゆぶね) |
所在地 | 京都府宮津市字文殊466 智恩寺内 |
制作年 | 正応三年(1290年)・鎌倉時代 |
制作者 | 大工山河貞清 |
材質 | 鋳鉄 |
形式 | 盥状湯船 |
寸法 | 高63.5cm × 172.5cm |
国宝・重文区分 | 重要文化財(1982年06月05日 ) |
ト書など | 正応三年庚寅□月□日、大工山河貞清の鋳出銘有り。 |
その他 | 大形・薄手で鋳技優れている。 |
鉄湯船 メモ
- ・その大きさ、口径172.5cm、高さ63.5cmという。
- ・寺院における施浴用の湯船。
- ・現在、室町時代以前の鉄湯船は、東大寺大湯屋、宮津市の成相寺(なりあいじ)と、この智恩寺の一口がある。
- ・大形・薄手で鋳技優れている。
- ・形状は、口縁部に鍔をつけ、底部をわずかに細くした盥形(かんけい)。底部中央には、流れ口の穴をあけている。
- ・銘文から成相寺(宮津市大字)と、この智恩寺同一作者がほぼ同時期に製作した。
- ・制作は、鎌倉後期・河内国鋳物師・大工山河貞清と考えられている。
山河貞清の銘は、宮津市の成相寺(なりあいじ)と、この智恩寺の鉄湯船。東大阪市の慈光寺の銅鐘に伝わる。
- 【参考】鉄湯船
- ・東大寺大湯屋:建久八年・1197在銘・重文
- ・成相寺・鉄湯船:正応三年・1290在銘・重文
- ・智恩寺・鉄湯船:正応三年・1290在銘・重文
- ・熊野本宮大社・鉄湯船:建久九年・1198在銘・重文・「建久□□歳次戊午四月廿二日 熊野山本宮釜 願主□□聖奉入」の鋳出銘。
知っ得情報
- 小原山興法寺 〒627-0123 京丹後市弥栄町吉沢2613
- 開創:伝・和銅元年(708年)・遍然上人(へんねんしょうにん)
- 正応三年(1290年):物部家重が河内国・鋳物師 山河貞清に命じ、鉄湯船を鋳造寄進。これが、智恩寺の鉄湯船。
- 元禄年間(1688年~1704年):峰山の縁城寺の應舜によって御堂再建。
- 宝暦年間(1751年~1764年):慧龍によって諸堂復興。
参考文献
- 東大寺造立供養記
- 重源上人『南無阿弥陀仏作善集』に「大湯屋一宇 在鉄湯船」とみえる。
- 「建永元年六月四日条(重源伝)」『大日本史料』四‐九
- 奈良国立文化財研究所『南無阿弥陀仏作善集』真陽社、1955
- 小林剛編「俊乗房重源史料集成』吉川弘文館、1965
- 小林剛「俊乗房重源の研究』有隣堂、1980改版
- 『東大寺年中行事日記』宝永元年2月24日条
- 『東大寺年中行事日記』元禄17年3月10日条
- 『東大寺造立供養記』>国文学研究資料館 ⇒ クリック
- 『七大寺巡禮私記』>国立国会図書館デジタルコレクション ⇒ クリック
- 重源上人『南無阿弥陀仏作善集』>国指定文化財等データベース ⇒ クリック
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- 『七大寺日記』>収蔵品データベース>奈良国立博物館 ⇒ クリック