[栃木・那須]
『おくのほそ道』と『曾良日記』にみる那須温泉
一般社団法人 那須町観光協会 TEL:0287-76-2619
〒325-0301 栃木県那須郡那須町湯本182
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[ 那須温泉 ]
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『曾良日記』と『おくのほそ道』
「月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして 行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ 馬の口とらえて老いをむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。」(萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』岩波文庫、1978/1、p. 9)
今回は、那須温泉と松尾芭蕉さんの『おくのほそ道』でチェックですね。
そうそう、那須温泉というと、松尾芭蕉さん一行が4月18日に那須の湯本に到着して、温泉宿和泉屋に泊まったと旅の様子をつぶさに記録した『曾良日記』と、『おくのほそ道』でみていきましょう。
『曾良日記』って?
芭蕉さんの元禄二年の奥羽北陸への行脚に、随行したのが曾良さんで、この人の行脚日記が『曾良日記』と呼ばれているんです。そこには、日付、天候、行程、宿泊先や出逢った人などなど詳しいことが記されています。この記載されている内容から『おくのほそ道』には書かれていない旅の様子などがわかるんだよ。
ちなみに、『曾良日記』は、「随行日記」、「曾良旅日記」とも呼ばれている。
江戸・深川を出発~那須の湯本へ
3月27日 江戸・深川を出発
さて、
1689年(元禄二年)3月27日、
芭蕉(46歳)は、お弟子さんの曾良さんを伴って江戸・深川を出発する。
「巳三月廿日 □出 深川出船 巳ノ下尅 千住ニ揚ル」(『曾良旅日記』)
「弥生も末の七日 明ぼのゝ 空朧々(ろうろう)として …中略… 千じゆと云所にて 船をあがれば … 」(萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』岩波文庫、1978/1、pp. 10-11)
旅の句のはじめとして、『おくのほそ道』では、
「行く春や鳥啼き魚の目は涙(ゆくはるや とりなき うおのめはなみだ)
是れを矢立の初めとして…」(萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』岩波文庫、1978/1、p. 11)
と、詠んでいる。
一行は、江戸・深川を旅立ち、千住~草加~室の八島(栃木市惣社町)~日光山麓・仏五右衛門~日光~那須~羽黒へと…。
那須の湯本
那須の黒羽(くろばね)から雲岩寺(うんがんじ)を拝して、殺生石(せつしやうせき)に行くと『おくのほそ道』にみえる。
那須の湯本については、「殺生石は温泉(いでゆ)の出(いず)る山陰にあり。」と記されている。この温泉(いでゆ)が那須温泉となる。
「是より殺生石に行 …中略… 殺生石は温泉(いでゆ)の出(いず)る山陰にあり」萩原恭男校注『芭蕉おくのほそ道』岩波文庫、1978/1、p. 20)
4月18日 那須の湯本に到着
4月18日、
芭蕉一行は那須の湯本に到着し、温泉宿和泉屋に泊まり、翌日19日、温泉神社(ゆぜんじんじゃ)に参拝した。
「一 十八日 卯尅 地震ス 辰ノ上尅 雨止 午ノ尅 高久角(覚)左衛門宿ヲ立 暫有テ快晴ス 馬壱疋 松子村迄送ル 此間壱リ 松子ヨリ湯本ヘ三リ 未ノ下尅 湯本五左衛門方ヘ着」(『曾良旅日記』)
『おくのほそ道』では、
前述の「殺生石は温泉(いでゆ)の出(いず)る山陰にあり」とあり、温泉(いでゆ)として、那須温泉にふれている。あとは、この項では、殺生石、蘆野の里(那須町芦野)の西行ゆかりの柳のもとでときを過ごしたとある。
4月19日 温泉神社に参拝
4月19日
午ノ上尅(昼前)に、温泉宿和泉屋の主人、五左衛門の案内で温泉神社に参拝する。温泉神社は、那須与一が源平屋島の合戦で扇の真ん中を命中させてとお祈りした神社で、神主に与一ゆかりの扇を射たときに残った矢などを拝ませてもらう。それから、殺生石を見に行く。
「一 十九日 快晴 予 鉢ニ出ル 朝飯後 図書家来角左衛門ヲ黒羽へ戻ス 午ノ上尅
湯泉ヘ参詣 神主越中出合 宝物ヲ拝 与一扇ノ的躬(射)残ノカブラ壱本・征矢十本・蟇目
ノカブラ壱本・檜扇子壱本 金ノ絵也 正一位ノ宣旨・縁起等拝ム 夫ヨリ殺生石ヲ見
ル 宿五左衛門案内 以上湯数六ヶ所 上ハ出ル事不定 次ハ冷 ソノ次ハ温冷兼 御
橋ノ下也 ソノ次ハ不出 ソノ次温湯アツシ ソノ次 温也ノ由 所ノ□云也
温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ 雨(両 )神一方ニ拝レセ玉フヲ
湯をむすぶ誓も同じ石清水 翁
殺生石
石の香や夏草赤く露あつし
正一位ノ神位被加ノ事 貞亨四年黒羽ノ館主信濃守増栄被二寄進一之由 祭礼
九月二十九日」(『曾良旅日記』)
現在、
句碑が、殺生石(栃木県那須郡那須町湯元)の近くに立っている。
「石の香や夏草赤く露暑し」元禄2年4月19日
(いしのかや なつくさあかく つゆあつし)
この曾良さんの句は、『曾良旅日記』十九日の項にみえる。
「石の香や夏草赤く露あつし」
(萩原恭男校注「曾良旅日記」『芭蕉おくの細道』岩波文庫、2008年、p. 90)
うぅん、たしかに『おくのほそ道』からは、文学的な情景などが伝わってきます。一方、『曾良旅日記』は、足どりや出来事が書かれているんですね。
たしかに、『おくのほそ道』は、コース・時間はおおよそ一致はするが、詳細は…???と。で、『おくのほそ道』の実際の旅を探るには、曾良さんの行脚日記と、2冊を並べて読んでいくのもおもしろいです。
あと、この『おくのほそ道』を書き上げた時期が興味深いです。
完成したのが、芭蕉の最晩年の元禄七年という。
江戸・深川を出発のが、元禄二年三月。
そして、奥羽北陸行脚、敦賀、美濃大垣、伊勢とまわり、
江戸に戻ったのが、元禄四年十月というから、
二年七ヶ月の行脚となる。
と、この元禄四年の段階では、構想すらなかったらしいというから、ますます好奇心が刺激されてしまいます。
櫻井武次郎『奥の細道行脚』では、執筆に取りかかったのは、おそらく元禄六年に入ってからとある。
そして、元禄七年四月に素龍さんに清書させた。そして、これを持って、芭蕉は最後の旅に出発するという。
※萩原恭男校注『芭蕉おくの細道』岩波文庫の底本には、素龍清書本『おくのほそ道』古典文学刊行会複製、昭和47年を用いている。
近年に出現して注目された「野坡本・やはほん」(中尾本)は、芭蕉さんが執筆した自筆本とされる新出の写本とされ、1996年(平成8年)に発見されている。
つまり、諸本についても調べてたくなってきますね。
参考資料とリンク
- 萩原恭男校注『芭蕉おくの細道 付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄』岩波文庫、2008年
- ※この本の底本には、素龍清書本『おくのほそ道』古典文学刊行会複製、昭和47年を用いている。
- ※『おくのほそ道』注釈書として、武田村径『おくのほそ道鈔』1760年、蓑笠庵梨一『奥細道菅菰抄(おくのほそみちす がごもしょう)』などがあるが、ここでは、後者が収録されている。
- 櫻井武次郎『奥の細道行脚』岩波書店、2006/7
- 麻生磯次訳注『現代語訳対照 奥の細道』旺文社文庫、1970年
- 敦賀市
「奥の細道元禄七年初夏素龍書写奥書」復刻版
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