[奈良]
鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)・若草山山頂に築造・奈良公園内
鶯塚古墳(うぐいすづかこふん) 〒630-8211 奈良県奈良市雑司町 奈良公園内( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
[鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)・若草山山頂]
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全国で大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ第2位規模の巨大古墳。
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ワンポイント・履歴
鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)、ほんとうに若草山のてっぺんにあるんだね。 今回は、「奈良奥山ドライブウェイ」(有料道)で山頂駐車場へ。若草山の標高341mというから下からだと山登りですね。
山頂駐車場からすぐの所に古墳はあると…。でも、「鶯陵」の石碑があるけど、前方後円墳の全体のカタチがなかなか分りづらいよ。
この下の案内板が立っているところが、ちょうど、前方部と後円部のくびれ付近なんだって。
[奈良県「鶯塚古墳 ]
そうですね、たしかに歩いているとなかなか古墳の全体のカタチが分りづらいですね。「鶯陵」の石碑は、古墳の頂きで、後円部にあたります。
古墳の外回りに柵があるので、その柵まわりを歩いて見ると全体のカタチが分かるよ。
ここは、清少納言さんが枕草子で「みささぎは うぐひすの みささぎ。」といったのがこの古墳とだという伝承があるんだね。古くから知られた古墳なんだ。
若草山の山頂の前方後円墳。この古墳の埋葬施設は不明なのです。
小笠原好彦先生の著書では、鶯塚古墳「大和の船形埴輪を配した大型首長墳」と題しています。(小笠原好彦著『検証 奈良の古代遺跡』吉川弘文館、2019/7、pp.
6-11)
この古墳のある位置、真下に東大寺大仏殿、西に平城京、生駒山、南には飛鳥の耳成山、北には木津川が望める。つまり、木津川流域と大和の出入り口が眺望できる場所でもある。
弥生時代には眺望の良いところに高地性集落があるという関係性を探るべく踏査されたがまだ弥生土器は採集できていないそうだ。興味深いのは、この古墳から採集された形象埴輪に船形埴輪片が含まれていたことに着目している点である。つまり、この船形埴輪のみつかっている古墳が少ないというので、ここに被葬者の性格を考える糸口とし、被葬者に迫っている。
鶯塚古墳(うぐいすづかこふん) 概要
( 最新情報は公式ページ・問合せ先にてご確認下さい。⇒ 公式サイト )
名 称 | 鶯塚古墳(うぐいすづかこふん) |
---|---|
別 称 | - |
所属 | - |
所在地 | 〒630-8211 奈良県奈良市雑司町 奈良公園内 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | ・墳丘長:103m ・後円部:三段築成 / 高9m / 直径66m ・前方部:2段築成 / 高8m / 幅72m |
埋葬施設 | - |
築造時期 | 5世紀前半 |
被葬者 | - |
陵墓 | - |
史跡 | 国の史跡「鶯塚古墳」・1936年(昭和11年)指定。 |
出土品 | 円筒埴輪・形象埴輪(切妻造家形埴輪屋根部分 / 船形埴輪片)・小型内行花文鏡・斧形石製品・ |
駐車場 | 有り(無料) |
アクセス | ・近鉄「奈良」駅下車→徒歩約90分。 ・JR「奈良」駅・近鉄「奈良」駅下車→奈良交通バス「春日大社本殿」行乗車→終点下車→山麓まで徒歩約10分。 ・JR「奈良」駅・近鉄「奈良」駅下車→奈良交通バス「市内循環外回り」乗車→「東大寺大仏殿・春日大社前」下車→山麓まで徒歩約10分。 ・『ぐるっとバス・「奈良公園ルート」』→山麓(南ゲート)まで。 『ぐるっとバス』サイト⇒クリック |
問合先 | - |
その他 | ・前方部前方に小方墳1基・小円墳2基。これらは陪塚(ばいちょう・ばいづか)の可能性あり。 ・墳頂に、三等三角点「三笠山」あり。 |
知っ得情報☆彡
由来・発見の足どり
- 由来
- 「みささぎは うぐひすの みささぎ。かしはぎのみささぎ。あめのみささぎ。 」
清少納言『枕草子』第17段 (『枕冊子(上)全訳古典撰集』旺文社、S49/6、p. 54)
とあり、「うぐひすのみささぎ」を、この古墳に比定する伝承に由来。古くからよく知られた古墳である。 - 以下参考
- [みささぎ]:陵。天皇・皇后などの御墳墓。
[うぐひすの]:底本など「うくるすの…」は、大阪府南河内内部にある孝徳天皇の大坂磯長(しなが)の陵とも、奈良の若草山とも。
[かしはぎの]:能因坊・前田本「かしはらの…」は、京都府の桓武天皇柏原陵となる。柏木は大和にも近江にもある森の名。
[あめの]:大和佐保山にある聖武天皇の陵だとも。
(『枕冊子(上)全訳古典撰集』旺文社、S49/6、p. 54) - [うぐひすの]:仁徳天皇の百舌鳥の陵とも。
[かしはぎの]:桓武天皇の陵。山城国。
[あめの]:盤斎抄に天智天皇の陵かと。
(『枕草子 上』講談社、1987、p. 208) - [うぐひすの]:大阪府百舌鳥野の仁徳陵の別名説などがあるが未詳。
[かしはぎの]:京都市伏見区の桓武柏原陵か。
[あめの]:あめ(天・雨)の陵は未詳。
(『枕草子 完訳日本の古典 第12巻』小学館、1984、pp. 32-33) - 発見の足どり
- 江戸時代初期の「東大寺寺中寺外惣絵図」に「牛墓」として記載あり。
- 1733年(享保18年):東大寺僧の康訓が墳丘上に鶯陵碑を建立。
鶯陵碑:正面「鶯塚」、裏面「享保十八歳次癸丑九月艮辰東大寺大勧進上人康訓建 延喜式曰平城坂上墓 清少納言謂之鶯陵 并河永誌」。 - 1933年(昭和8年): 日本古文化研究所 調査。
- 1935年(昭和10年): 日本古文化研究所『近畿地方古墳簿の調査』1、1935。古墳の実測図作成。
- 1936年(昭和11年)9月3日: 国の史跡に指定。
- 1953年(昭和28年): 前方部南西隅で小型内行花文鏡を発見。
- [陪塚(ばいちょう・ばいづか)]
大型の古墳とともに古墳群をなす小型の古墳で、同一時代に周囲に付随築造された。大型の古墳に埋葬された首長の親族、臣下を埋葬、副葬品埋納するためのもあると考えられている。
参考資料・サイト☆彡